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『ベトナムの少女』「戦争を終わらせた写真」の主人公から学ぶもの【GWに読みたい本】

[書評]『ベトナムの少女』「戦争を終わらせた写真」の主人公から学ぶもの 前編【GWに読みたい本】

おそらく一度は目にしたことがあるだろう、「戦争の恐怖」と題された、ベトナム戦争中に撮られた有名な写真。両腕を広げた少女が、叫びながらこちらに走って来る。彼女はナパーム弾の被害に遭い、服も焼かれ、肌には重いやけどを負っていた。この少女の名は、ファン・ティ・キム・フック。彼女の生い立ち、この写真の経緯、彼女の後の人生を描いたのが、今回紹介する本、『ベトナムの少女―世界で最も有名な戦争写真が導いた運命』(原題:The Girl in the Picture: The Story of Kim Phuc, the Photograph, and the Vietnam War デニス・チョン著)だ。「あなたの写真が戦争を終わらせた」(本書445ページ)とは、米国の退役軍人がこの写真の撮影者ニック・ウットに告げる言葉。平成の終わりに、平和を作り出したこの写真と、その主人公の少女について、本書を通じて考えてみたい。
 

戦争、空爆、そしてあの写真

キム・フックの母親は麺店で成功し、豊かな家庭を築いていた。しかし、ベトナム戦争で家族皆が南北両側の板挟みに遭う。昼には南ベトナム政府側から、夜には解放戦線(ベトコン)から、自分たちに協力するように強いられるのである。「餅米と豆のあいだにはさまれたようなもの」(49ページ)ということわざに絶妙に表されている。フックが生まれたのは1963年、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領が暗殺されるという、大きく時局が動いていた時だった。

そのような中、フックが9歳の時、1972年に事件は起きた。フックの家族を含む村人たちが避難していた寺院が南ベトナム政府軍の誤爆に遭い、ナパーム弾が人々を焼いた。フックは背中や腕を焼かれながら、力を振り絞って走った。その場に多くのジャーナリストが居合わせた中で、ニック・ウットは多くの幸運に恵まれて、あの有名な写真を撮影した。通信社に写真を提出する締め切りに迫られながらもフックを病院に届け、そして提出に成功。翌日の世界中の新聞の第1面を飾ることとなった。本書では当時の様子を、フックや家族、村人たちの様子だけでなく、ジャーナリストたちや、誤爆を指示することとなった米国将校の視点も描かれ、国際政治的な動きも絡めて、巧みに表現されている。
 

フックの困窮と苦悩

フックは瀕死ひんし重傷を負っていたが、多くの幸運に恵まれて奇跡的に一命をとりとめた。しかし、やけどによる後遺症は、彼女を一生苦しめることとなる。

ベトナムを統一したハノイの社会主義政権は、個人経営の店に厳しく、フックたちの家族は困窮する。それでもフックは「困っている人を助けたい」と医学の道に進む。しかしそんなフックを次に襲ったのは、ベトナム政府とジャーナリストたちだった。「写真の少女のその後」に興味を持った世界のジャーナリストたちがフックのもとを訪れるようになったのだ。

政府は授業中にフックを呼び出し、インタビューに答えさせる。といっても政府の厳しい監視下でのインタビューでは答えられることは決まっている。内容は決まって米国や南ベトナムがいかに悪いことをしたのか、ハノイ政権がいかに正しいのか、ということだ。度重なるインタビューにより授業の欠席も続き、授業に追いつけなくなったフックは学業の中断を余儀なくされる。それでもインタビューでは医学生を演じさせられ続ける。

「アメリカとの戦争の犠牲者はほかにもたくさんいるというのに、なぜわたしだけがえらばれてしまったの?」(240ページ)
「あの人たちはわたしの人生をだいなしにした。なぜわたしにこんな仕打ちをするの?」(253ページ)
彼女の苦悩は筆舌に尽くしがたいところがあったようだ。
 

人生の転機

そのような彼女の苦悩を癒やしたのが、信仰だった。フックの家族、そして村の人々は皆、現地で一大勢力となっていた新興宗教のカオダイ教を信じていた。カオダイ教の教えに従い、この苦しみは前世のごうと思って悩んでいたフックだったが、図書館で聖書を見つけて読むようになり、キリスト教の「ゆるし」の教えに感銘を受ける。結局は家族の反対を押し切ってクリスチャンとなるのであった。

家族からの経済援助がなくなって困窮し、鎮痛剤も買えなくなり、命の危険も感じたフックだったが、ドイツ人ジャーナリストの助けを得て、ヨーロッパで火傷の治療を受けるようになったことが、フックの人生を好転させる。帰国後、奨学金を得て、大学で英語を学ぶことができるようになったのだ。

それでも、フックをプロパガンダの道具として利用しようとするベトナム政府の思惑は変わらない。モスクワで開かれた「反帝国主義と反戦」をテーマにした世界青年フェスティバルに参加するようになり、癒やしを得ることとなった反面、長期の休暇によって学業には遅れが出て、寒さのために大きく健康を損ねることにもなった。その後、米国での講演に行くように指示された際には激しく狼狽した。「健康の問題、お金の問題、学業の中断、モスクワ、そして今度は ― これ!」(320ページ)社会主義政権のせいで散々苦しめられ、今になって米国に招待するとは。いつまでたっても学業を終えられないと憂えたフックは、機会あって親しくなったファム・ヴァン・ドン首相に直接その窮状を訴えた。結果、彼女はキューバに留学することとなった。

後編に続く
 

書誌情報
『ベトナムの少女―世界で最も有名な戦争写真が導いた運命』
著者:デニス・チョン
発売日:2001年9月
発行:文藝春秋

(冒頭の写真はイメージ)