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書評『不安の哲学』

不安の対象は「無」であると哲学者キルケゴールはいう。未来に起きるかもしれない、未知で制御不能な、何でもないこと(無)が人を不安にさせる。しかし、不安には目的がある。「人生の課題」から逃げるための理由として、また決断しないために、また時には不安を表すことで助けを求める(人を支配する)ためにも使われたりすると、著者は分析する。

本書は、「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏が、パンデミックや災害、戦争による不安が社会を覆う中で、不安の正体を問い直したものである。対人関係の不安、仕事、病気、老い、死への不安に向き合い、どうすれば脱却できるのかを思索する。

不安とは何か

アドラーはあらゆる悩みは人間関係の悩みであるといった。不安は、「人生の課題」である対人関係から逃げることを正当化する。過去に遭遇した困難な経験はきっかけに過ぎない。不安の口実から抜け出して、今どう対人関係を築けるかを考えなければいけない。

現代は、一人で生きているわけではないが、自分と結びつく他者が見えない。インターネットによって世界の隅々まで繋がり、互いに自分の知らない無数の関係によって限定され、無性格になっている、と著者はいう。その中で、アノニム(無名)な、国民や人種、階級への憎しみが噂によりあおられている時代でもある。噂の根源もまた不安である。

病気と不安

病気になると、それまで存在を意識してこなかった自分の身体が、自分の意のままにならない「他者」となる。病気になると人は、怒り、妬み、憤慨、葛藤、抑うつを経て受容していく。病気(身体)により自分が支配される先に、病気に縛られず自分のすべき道を見つけることで、自分が病気(身体)を支配することに至ることができる。

また病気によって、日々の常識の生の中で無意識的に囚われている所(「精神のオートマティズム」)を抜け出して、本当に大事なものを見つけることもできる。健康な時には「地上の宝石」を求めそのために働いてきたたが、病気になると、それらに価値はなかったと気づき、「天上の永遠な美」を悟るに至れる、と著者はいう。

どうすれば不安から脱却できるのか

人生は、生で始まり、死で終わるという一直線の生を生きているのではなく、人生を空間的にみて、今この時を生きる、今生きている価値を認識すること。

著者は、人生は「無」の上に立つ旅のようだという。これから先何が起こるかわからない不安は、生きがいでもある。人生の旅を自分で考えて自分自身として生きるとき、「不安」は自由に生きている証になる。そして更に、真の他者との交わり、真の友や助け合える共同体があれば、希望を与えあうことができる。

考え1つで、人の人生の質は大きく変わる。本書が、人や世の中の作った軸の中でとらわれて生きるのではなく、不安から解き放たれて、喜びをもって今ここを生きていく助けになることを願う。

『不安の哲学』
著者:岸見一郎
発行日:2021年6月10日
発行:祥伝社

(冒頭の写真はイメージ)