【コラム】平城京で宮仕えしたペルシャ人

平城京跡で発掘された8世紀中ごろの木簡から、当時、ペルシャ人が役人として働いていたことがわかった。奈良文化財研究所が5日に発表した。

文献に書かれた人物名は、これまで肉眼ではかすれて判読できなかったが、今年8月、赤外線で撮影したところ「破斯はし」という文字であることがわかった。これは、ペルシャを意味し、出土品から確認されたのは国内では初めて。

木簡に書かれていた全文は、「大学寮解 申宿直官人事 員外大属破斯清通 天平神護元年」。天平神護元年(西暦765年)に、役人を養成する「大学寮」での宿直担当の人事記録。「員外」は定員外の特別枠を表し、「大属だいさかん」は四等事務官にあたる。そして「破斯清通」というのがペルシャ人である清通ということになる。

正史である続日本紀の巻十二に、天平8年(西暦736年)の記録として「唐人皇甫東朝。波斯人李密翳等、授位有差。(唐人の皇甫東朝・ペルシャ人の李密翳らにはそれぞれ身分に応じて位階を授けた)」という記録がある。また正倉院のコレクションにも、ペルシャ製のガラスの器があることはよく知られている。

奈良時代にはるばる渡来してきたペルシャ人は、日本で何を教えていたのだろうか。7世紀半ばにササン朝ペルシャは滅亡し、イスラム勢力の支配下に入った。もしかすると、ササン朝滅亡に伴う亡命者で、ゾロアスター教や景教(ネストリウス派キリスト教)を教えていたのかもしれない。なお、ゾロアスター教はペルシャの国教。景教はペルシャ人によって唐に伝えられ、西暦781年には「大秦景教流行中国碑」が建てられるほど盛んであった。

画像提供:Wikipedia(平城京跡)
 
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