
[書評]『奪還~日本人難民6万人を救った男』
「奪還」という強烈な書名が目を引く。さぞかし強い男が無理やり日本人を救出したのかと思って読み始めると、いい意味で裏切られる。初めから最後まで朝鮮半島の地名や月日を交えた状況説明が淡々と続く。淡々としすぎて、人々の窮地の状況も想像しづらいほどだ。戦後の混乱期に朝鮮半島に残された日本人難民の話など、今まで聞いたこともなかったから余計にそう感じるのかもしれない。
1945年8月15日の玉音放送以降、日本の支配下ではなくなった朝鮮半島。「君たちは内地に引き揚げないかん」という言葉で戦争中に朝鮮半島で生まれ育った日本人は突然居場所を失った。「ああ、ここは外国になったんだ」と、一日にして難民になり、助けてくれる人も存在しない異国の地で、どれだけ「その男」が頼もしい存在だったか。
終戦当時、北緯38度線以南に残された日本人は、米軍の方針により速やかに日本に帰国することができた。しかし、北緯38線以北のソ連軍に支配された地域の日本人は取り残されたままだった。彼らを救ったのが松村義士男だ。
松村は1991年、熊本県 飽託郡 本荘村(旧本庄村)生まれ。戦前は左翼運動に熱心で、労働組合の活動を手伝い中学校を退学になったり、20歳の時には朝鮮半島の油脂工場の労働組合再建に関わったとして逮捕されたりと(のちに起訴猶予)、1945年5月に軍隊に召集されるまでに2度検挙されている。
召集後3か月で終戦を迎えたとき、松村は朝鮮にいた。そしてソ連軍によって捕虜収容所に護送されている途中に逃走。朝鮮半島に残された日本人の惨状を目の当たりにして、左翼運動を行っていた仲間と共に北緯38度以北にいた日本人の「南下移住及び越境脱出策」を立てた。
情熱的に強引に困難を解決するようなヒーロー像とは程遠く、日本人を救いたいという松村の使命感は、戦略を立てて実行するという緻密さにあらわれていた。戦前に朝鮮で左翼運動をしていた時のつながりで朝鮮とソ連軍からの信頼を得て、正式な帰国ではない「脱出」にも関わらずほとんど阻止されることはなかった。脱出ルート上の様々なところへの交渉を怠らず、要人を味方につけ「松村なら」と事なきを得た。そうして終戦の翌年の1946年1月頃から計画し9カ月かけて実行した日本人難民の脱出作戦は成功。日本政府が日本人全員の救出を決めた1946年12月には、ほとんどの日本人を帰国させてしまっていた。
本書の中には「朝鮮やソ連軍は日本人の脱出を黙認し」という記述が多くあり、脱出を阻止しようにも、様々な理由で対処できなかった当時の混乱した状況が窺える。しかし、その混乱の中で冷静に状況を分析し、人々が途中で捕まらないように、また、飢えることがないように、最大限準備をしておよそ6万人もの人を救った功績はもっと多くの人に知られるべきであろう。
55歳でこの世を去った松村は、自分のしたことを娘にも話していなかったという。「引き上げの神様」とも言われた松村だが、英雄としてほめたたえられることをよしとしなかったからではないだろうか。国によって逮捕された過去を持ちながらも、自身の信念を貫き多くの日本人を救い出した松村の姿は、過去の出来事にとらわれず「今、どうするか」が大事だということを教えてくれる。
『奪還~日本人難民6万人を救った男』
著者:城内康伸
発行日:2024年6月15日
発行:株式会社新潮社
(写真はイメージ)