変わる縄文時代のイメージ トーハク、特別展で多様な造形美を展示

変わる縄文時代のイメージ トーハク、特別展で多様な造形美を展示

「縄文時代」というと、どんなイメージを持っているだろうか。ボサボサの髪で毛皮をまとった原始人が竪穴式住居で土器を作っていた――、そんな感じではないだろうか。授業でも、長い日本史の中では最初の数ページの記述にとどまるが、特徴的な土器や土偶の写真を覚えている方もいるかもしれない。1990年代に青森県青森市の三内丸山さんないまるやま遺跡が本格的に調査されて以降、縄文時代のイメージが塗り替えられてきているのをご存知だろうか。
 

三内丸山遺跡では30m超の大型住居も

縄文時代が始まった今から約1万3000年前、人々は食物の煮炊きや保存のために世界最古級の土器を作り出した。土器の表面に縄目の模様を付けることが多かったため、これらの土器は縄文土器と呼ばれた。縄文時代が始まってしばらくして氷期が終わり、海水面が上昇すると日本列島は大陸から切り離され、温暖で湿潤な気候に変わった。この多様な自然環境を利用し、狩猟や漁労ぎょろう、植物の採集を基本として定住生活を営むようになる。

今から約5500~4000年前の集落跡・三内丸山遺跡では、柱の高さ10m以上と推定される六本柱建物跡や、長さ32m、幅10mもある大型の竪穴式住居跡、複数の高床式倉庫とみられる掘立柱建物跡や多くの竪穴住居跡が並んでいる。多くのクリやクルミが出土しており、イモ類や山菜も利用されていたほか、マメ類やヒョウタンなども栽培されていた。動物ではムササビやノウサギなどの小動物が多く、魚類ではマダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・サメ類などが多く出土している。また、エゾニワトコを中心に、サルナシ・クワ・キイチゴなどを発酵させた果実酒も作られていたようで、直径が30cmほどの赤漆せきしつ塗りの皿も見つかっている。
 

多様な造形を作り、交易も盛んに

土器や石器といった実用的な道具だけでなく、装身具や土偶・石棒せきぼうといった儀礼の道具なども作り出された。土偶は人形ひとがたの土製品で、縄文時代の始まりとともに登場する。土偶が命を育む女性をかたどるのは縄文時代を通して変わらず、安産や豊穣ほうじょうを祈るために用いられたと考えられている。一方、男性を象徴する造形として、石棒が前期後半に出現する。石棒には男性器を写実的に表現した例もあることから、子孫繁栄や豊穣のために作られたのだろう。三内丸山遺跡では、ヒノキ科の針葉樹の樹皮を素材として編んだ木製編籠(縄文ポシェット)が出土している。ほかにも、新潟県でしか採れないヒスイや岩手県の琥珀こはくを首飾りなどの装飾品に加工していたことがわかっており、広い範囲で交易が行われていたことがうかがい知れる。

1万年以上にわたる縄文時代の間、さまざまな造形がなされたが、縄文時代の出土品として国宝に指定されているのは、わずか6点のみ。「縄文のビーナス」「中空土偶」「仮面の女神」「合掌土偶」「縄文の女神」の土偶5点と、「火焔型土器」だ。東京国立博物館で開催中の、特別展「縄文―1万年の美の鼓動」では、これら国宝6点のほか、三内丸山遺跡の縄文ポシェットなど各地の逸品が一堂に集められている。(「縄文のビーナス」「仮面の女神」の2点の公開は7月31日から。)会期は9月2日まで。近年、そのダイナミックで独創的な造形に再び注目の集まる「縄文の美」に触れたら、縄文時代のイメージが大きく変わるかもしれない。

特別展「縄文―1万年の美の鼓動」