平成の災害と「絆」を振り返る 前編

平成の災害と「絆」を振り返る 前編

特集 平成はこんな時代だった

 

平成最後を締めくくる2018年末の「今年の漢字」に選ばれたのは「災」。これに象徴されるように平成の30年間は、日本列島が数多くの自然災害に見舞われた期間だった。予測のつかない自然災害に襲われたとき、それまでの日常は無残に奪い去られ、私たちは大自然の驚異に人間の存在の無力さを見せつけられる。ここでは、平成の30年間に起こった大災害を振り返り、そのことが社会をどのように変え、私たちがそこから何を学んできたのかを見ていきたい。
 

長期にわたった雲仙普賢岳噴火、火砕流に飲まれた町

平成の最初に起こった自然災害として記憶されているのは、長崎県雲仙うんぜん普賢岳ふげんだけの噴火と火砕流・土石流被害だ。1990(平成2)年 11月17日、雲仙普賢岳が198年ぶりに噴火。これはいったんおさまるが、翌年2月12日に噴火が再発。以後、複数回にわたって噴火を繰り返し、1995年5月に終息宣言が出されるまで、長期にわたって予断を許さない状態が続いた。1991年6月3日に発生した最大規模の火砕流では、43人が亡くなっている。行方不明者は9人。また、堆積した火山灰が降雨などで水を含むことで発生する土石流が水無瀬川みなせがわ流域で起こり、これが多くの家屋を飲み込んだ。火砕流と土石流による被害家屋は2511棟。被害額は2299億に上った。
 

震災と津波、火災に見舞われた北海道南西沖地震

1993(平成5)年7月12日、北海道南西沖地震が発生。規模はマグニチュード7.8、最大震度5。日本海観測史上最大級の地震、驚異的な速さと高さの津波、その後の火災と3重の大惨事に遭遇して壊滅的な被害を受けた。震源域が奥尻島や渡島おしま半島西岸に近かったために、地震発生後4~5分で津波が押し寄せ、多くの人が津波被害の犠牲となった。死者・行方不明者230人、負傷者323人、家屋全壊601棟。
 

阪神・淡路大震災とボランティア元年

1995(平成7)年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。神戸市を中心とする兵庫県南部でマグニチュード7.3、最大震度7を記録。死者6434人、行方不明3人、負傷者4万3792人、家屋全壊10万4906棟という未曽有の大被害を出した。厚生労働省の調べでは、1995年1月~6月の間に亡くなった人のうち、「窒息・圧死」が77%。被災者の多くが木造家屋などの倒壊が原因で死亡しており、また地震後285件の火災が発生し救出活動の妨げとなったことなども、その後の耐震建築のあり方、防災対策などに大きな教訓を残した。

阪神・淡路大震災の起こったこの年は「ボランティア元年」とも呼ばれている。大都市が壊滅した衝撃的な様子がテレビに映し出され、「何かしなければ」と自然発生的に集まったボランティアの数は延べ137万人に上り、震災ボランティアという助け合いの形を生み出した。
(後編に続く)
 

【データ資料】
国土交通省気象庁「日本付近で発生したおもな被害地震」

【参考記事】
【特集】「熊本地震」被災日記(1) 前震と本震、熊本地震被災のはじまり(2016/05/23)
福島に柳美里さんを訪ねて(2) 震災と原発事故が作り出した新しい景色(2018/11/30)

(写真はイメージ)