平成の災害と「絆」を振り返る

平成の災害と「絆」を振り返る 後編

特集 平成はこんな時代だった

 

2016(平成28)年4月14日、16日に発生した熊本地震。今日16日は2度目の震度7の地震が起きた日だ。平成の30年間の後半、より記憶に新しい近年の自然災害を振り返っていく。
 

山間の集落が孤立、新潟県中越地震が見せた二次被害問題

2004(平成16)年10月23日、新潟県中越地震が発生。マグニチュード6.8、最大震度7。死者68人、負傷者4805人、家屋全壊3175棟。阪神・淡路大震災に匹敵する強度の地震に見舞われ、震源地に近い小千谷おぢや市、長岡市、川口町、山古志やまこし村、十日町市は壊滅的な打撃を受けた。電気、ガス、水道、電話、高速道路などのライフラインの寸断により、山間の集落は孤立。被災者の避難生活によるストレス死や、車中泊によるエコノミー症候群など、震災後の二次被害も多数報告された。
 

巨大津波と原発事故を生んだ大災害、東日本大震災

2011(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生。マグニチュード9、最大震度7、死者1万9667人、行方不明者2566人、負傷者6231人、家屋全壊12万1783棟。マグニチュード9は日本の観測史上最大で、最も激しい揺れを記録した宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県で震度6強の揺れを観測した。揺れは全国各地に及び、鹿児島市や小笠原諸島でも震度1が観測された。また、この地震により巨大な津波が発生。被災者の死因の90%以上が津波被害による水死で、行方不明者数が多いのも津波によるものだ。さらに地震と津波により、東京電力福島第一原発の事故が発生。放射能汚染により、原発から20km圏内の区域が「警戒区域」に指定され、ピーク時には16万4865人に上る同地域住民が長期にわたる避難生活を余儀なくされるという異例の事態が発生した。
 

「行政の力だけでは限界」熊本地震が見せた課題

2016(平成28)年4月14日、16日に熊本地震が発生。マグニチュード7.3、最大震度7。死者272人、負傷者2808人、家屋全壊8668棟。14日夜中と16日未明の2回にわたり、短期間に震度7を2回記録するという例のない都市型直下型地震だった。また、前震よりも規模の大きな地震が2回目に発生したことは、地震観測史上初。熊本市がまとめた「熊本市震災記録誌」によると、市の地域防災計画では避難者の最大想定を約5万8000人としていたが、熊本地震の避難者は約11万人と想定の2倍以上の市民が避難生活を余儀なくされた。震災から3年目を迎えてなお、約1万6500人が仮設住宅などの仮住まいをしているという。

平成の災害と「絆」を振り返る 後編

熊本市は、「大規模災害が発生した場合、その災害対応を行政の力だけで乗り切ることは困難」とし、「市民・地域・行政がそれぞれに果たすべき責任と役割を分担することが必要」としている。大規模地震等が発生した際、被害状況を乗り切るためには行政職員だけではなく、市民や地域団体が避難所運営を担う主体に位置付けられ、このためには平素からの地域社会におけるつながり、連携が大きな意味を持つことになる。

平成の災害と「絆」を振り返る 後編約300人の被災者が避難していた小学校の体育館(2016年4月17日)
 

地震大国日本、「備え」ある社会をつくるためには

日本の陸域には2000の活断層があり、世界で発生する地震の約10%が日本とその周辺で発生しているという世界有数の地震大国だ。震災はまたやってくる。私たちはその前提のもとに、心身ともに「備えある」社会を築いていく必要があるのではないだろうか。

甚大な被害と痛ましい犠牲を出した平成の災害。あたりまえのようにあった豊かな日常が一瞬で崩れ去り、大切な家族や友人を奪われたとき、私たちは限りある生の貴さと、その生を支えていた目に見えない数々のつながりに気づかされる。

5月1日から新元号「令和」に切り替わり、新たな時代が幕を開ける。元号の意味に込められた「美しい調和」が、あらゆる事態において実質的に成されていく社会となることを願いたい。

(冒頭の写真は、東日本大震災後に建てられた防潮堤。未曽有の大災害となった東日本大震災では、津波が多くの命を奪って行った。)
 

【データ資料】
国土交通省気象庁「日本付近で発生したおもな被害地震」
ふくしま復興ステーション
『熊本市震災記録誌』

【参考記事】
平成の災害と「絆」を振り返る 前編(2019/04/14)
【特集】「熊本地震」被災日記(1) 前震と本震、熊本地震被災のはじまり(2016/05/23)
福島に柳美里さんを訪ねて(2) 震災と原発事故が作り出した新しい景色(2018/11/30)