法律家の目でニュースを読み解く! 伊藤詩織さん事件に見る日本の「恥」と「謎」

伊藤詩織さん勝訴 「証拠の優越」は明らかだった(前編)

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者だった山口敬之氏に「望まない性行為をされた」として訴えていた民事訴訟で昨年12月18日に第一審の判決が下り、伊藤さん側が勝訴しました。この裁判は日本だけでなく海外でも注目され、大きく報道されました。当初は、「なかったこと」として葬り去られそうになっていたこの事件について、今回の裁判の一連の流れをたどりながら振り返ってみたいと思います。
 

解説:三上誠
元検察官。弁護士事務所勤務を経て、現在はグローバル企業の法務部長としてビジネスの最前線に立つ、異色の経歴の持ち主。

 

裁判が注目されるようになった理由

本件のような性的暴行事件が、民事訴訟で争われることで注目されるようになったのはかなり異例のことです。その原因の1つは、双方の事件に対する説明に大きな隔たりがあったこと、もう1つは本件が刑事事件としては不起訴になり、司法の場で検証される機会がなかったためだと思います。

性的暴行事件は多くの場合、知り合いや顔見知りの間で起こるものであり、事件相談の8割のケースで知り合いが加害者だと言われています。それゆえに、被害者側が訴え出るのを躊躇して「自分が我慢すればいい」と泣き寝入りしたり、また訴え出たとしても、事前に人間関係があったことから「合意があった」と反論されたり、事件に至るまでの経緯で「被害者側に落ち度があった」などと批判されることも珍しくありません。

さらに、この種の事件では被害者側に立って報道することが多いマスコミも、本件においては当初、伊藤さんの側に立って報道する機関がほとんどなかったことは過去に指摘した通りです(2019年8月1日「伊藤詩織さん事件に見る日本の『恥』と『謎』」)。
 

沈黙するマスコミ、不可解な逮捕状取り消し

このように、日本のマスコミがいわば機能不全に陥っている中で、#MeTooムーブメントの高まりや、海外のマスコミによる報道、そして何よりも被害者である伊藤詩織さん本人の粘り強い働きかけにより世論が動き始め、事件が民事裁判という形で司法の場で検証され、裁判所による明確なジャッジがあったことで、日本のマスコミも遅ればせながらこれを報道するようになったという流れが読み取れます。

さかのぼれば事件当初、警視庁刑事部長の異例の指示により被疑者の山口氏への逮捕状が取り消され、検察もこれに追随するように不起訴にし、検察審査会もあっさりと不起訴相当と判断したため、本件は結果的に刑事裁判で検証される機会を奪われてしまいました。民事裁判とは本来、刑事裁判を通じて検証された結果を金銭的な側面から解決するという位置づけになることがほとんどなのですが、今回はこのような理由で民事裁判が注目されることになってしまったのです。
 

刑事と民事の違いとは?

刑事裁判は「疑わしきは被告人の利益に」という無罪推定の原則から、加害者の犯行を立証できるに足りる十分な証拠がなければ、無罪となる厳しいルールを採用しています。一方で民事裁判は、「証拠の優越」というルールにより乱暴に言えば、「どちらの証拠に基づく説明が優れているか」によって決着がつきます。

しかし刑事裁判でも民事裁判でも、本件のような同意の有無が争われる性的暴行事件では、核心となる証拠は変わりません。それは被害者の証言です。被害者の証言が信じるに足りる真実性があるのか、つまり被害者の「同意がなかった」という証言が、本当なのか嘘なのかという一点につきます。

刑事事件では、その証言が信用できるのかどうかが、あらゆる角度から検証されます。そして形の上では、被害者の証言が信用できるかどうかを検証するために加害者の言い分も聞く、ということになります。
後編に続く)

(写真はイメージ)