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新型コロナウイルス流行で問われるクライシス・コミュニケーション― 福島第一原発事故の教訓は生かされたのか? ―

新型コロナウイルス流行で問われるクライシスコミュニケーション ―311の教訓は生かされたのか?― 前編

昨年11月に中国の武漢で発症し、世界中を不安に陥れている新型コロナウイルス(COVID-19)。集団感染と政府の対応が話題を集めた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の事件にはじまり、日本でも感染例が次々と報告されている。

このような状況下で、私たちは何を信じ、どのような対応を取るべきなのか? 医療ジャーナリストの松木明子さんに緊急寄稿いただいた。

解説:松木明子
医療ジャーナリスト。災害医療を専門にしている。

 

刻々と変わりつつある感染被害状況

この記事を読者が読まれる頃には、ダイヤモンド・プリンセス号における新型コロナウイルス感染症の話題はすでに、世間一般では過去のものとなっているかもしれない。というのは、このクルーズ船乗客の下船が決定して以来、日本国内では次々と感染例が報告されており、それは必ずしも、ダイヤモンド・プリンセスに乗船していたケースだけではないからだ。

厚生労働省の基本指針(2月25日付)では、今は国内の爆発的感染を防ぐ瀬戸際にあり、「国民全体に感染予防及び早期対応を求める」という状況になっている。コロナウイルスの感染はもはや、外国や特殊な密室空間だけで起こっていることではなく、日本にいてもだれしもに起こりうることとなった今、国民の関心が「自分自身の安全」に移っているのは当然と言えるだろう。(*しかし現時点でもクルーズ船には多くの乗客・乗員が残っており、感染の予防や対応は継続されている)

 

十分とは言いがたい国の対応

このような状況下で厚生労働省の指針は、地方自治体、企業、国民に具体的な対応を示したといえるのだろうか? その答えはNOである。専門家会議は「この1~2週間が瀬戸際である」という説明を行い、国民には一気に緊張感が広がった。漠然とではなく明確な期限が与えられたことは一方で、「この期間を乗り越えれば蔓延は防げるかもしれない」という希望をもたらしたかもしれない。しかし、その間に何をすれば防げるかについては、個々の自治体、企業、国民に「自ら考えて行動するように」と言われたにとどまった。

早期発見・早期対応こそが蔓延化を防ぎ、特に高齢者等重症者への対応を促進することが必要であることは、多くの人が理解したところだと思う。しかし、早期発見をするためのPCR検査の体制が整っていない状況が一方にはあり、次々と感染者が出る中、なおかつインフルエンザ、花粉症と紛らわしい症状が多発する中で、医療者でもない国民に「自ら判断して自宅療法するように」という指示だけでは、政府が国民の不安を理解しているとは到底言いがたい。

この基本方針は、おそらくは専門会議を受けて厚生労働省の医官を含む官僚が定めたものだと推測される。しかし彼ら専門家は本来、圧倒的大多数である医療知識のない一般の人々のリテラシーや、対応能力に沿った目線を持つことができなければならない。

2月下旬になって、マスメディアおよびSNSで玉石混合の情報が流れる中、最も信頼したい政府の情報が少ないだけでなく具体性を欠き、人々の不安や疑問に答えないとしたら、人々が正確であるかどうか以前に具体的かつ詳細な情報に飛びついてしまうのは、致し方ないのではないだろうか。

 

「お湯を飲んで予防できる」説が拡散した背景

2月25日、ハフポストに次のような記事が掲載された。「新型コロナウイルス『お湯を飲んで予防』のデマ拡散。専門家は『常識的に考えてありえない』」。

中国からの医療者の情報だとするこの情報は瞬く間に拡散した。お湯という手に入りやすい予防対策に人々は安心し、飛びついたと思われる。

もちろんそれは不正確な情報であり、医療専門家はそのような対応では防げないことを指摘している。実際のところ予防策は、●感染源に触れないこと、●触れた手指等の洗浄・消毒であり、感染してしまったら周囲に広げないようにすること、80%とされている軽症者は、安静にして自らの免疫機構が勝利するのを待つだけである。

現在の新型コロナウイルスの致死率は武漢で約2%であり、それ以外の地域においてはもっと低いとされている。ただ、通常のインフルエンザの致死率が0.1%程度であることを考えると、SARS(約10%)ほどの危険性はないが、インフルエンザよりも注意する必要があるとはいえる。だからといって、一般市民が「インフルよりちょっと気をつければよい」と思えるかどうかだが、そうはならないだろう。なぜならば、現在のところコロナウイルスに対してはインフルエンザのような治療薬がないこと、そして何よりも、不安になった場合に気軽に医療機関に行くことができず、かつ検査もしてもらえないからである。これでは、致死率や重症化の割合をいくら示したところで、人々の不安は解消されないだろう。

精神医学の定義では、不安とは「明確な対象をもたない恐怖」と呼ばれている。ウイルスが目に見えないということもあるが、具体的に何を恐れ、どのように対応したらよいかわからないときに、人の心には漠然とした恐怖感が生じ、不安となるのではないだろうか。
中編に続く

(写真はイメージ)