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書評―沖縄から見た戦後77年と平和への願い

書評―戦後77年、沖縄戦と向き合い時代を繋ぐ人々

2022年8月15日に、日本は終戦から77年を迎えた。同時に、今年は1972年5月15日に沖縄の施政権が日本に返還された「本土復帰」から50周年という節目の年でもある。そこでこの記事では、沖縄戦に関連する数ある書籍から、2冊紹介したい。

太平洋戦争末期、沖縄は住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となった。この沖縄戦は、アメリカ軍の砲爆撃があまりにすさまじく、「鉄の暴風」が吹き荒れたと表現されるほどの凄惨なものだった。

1945年の4月1日のアメリカ軍による沖縄本島上陸から3か月に及ぶ地上戦で、20万人を超す犠牲者が出た。敵の砲弾にあたって亡くなった人、猛烈な機銃掃射の中で日本軍によって壕から追い出されて亡くなった人、いわゆる集団自決を強要された人たち、毒薬を注射されて死んでいった子どもたち、他にも異郷の地で命を落とした人、マラリアなどの病気や飢えで死んだ人……、まさに地獄絵図だ。

20万人の犠牲者のうち、沖縄県の住民は9万4000人にのぼる。当時、実に住民の4人に1人が命を落としたことになる。そして、日本各地から日本軍に集められた多くの人も沖縄の地で参戦し、帰らぬ人となったことを忘れてはいけない。

(1)『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。: サトウキビの島は戦場だった』

沖縄県内の自然洞窟(ガマ)には、今も戦没者の遺骨や遺品が埋まったまま、今なおその場に残されているという。

著者である具志堅氏は、自らを「ガマを掘る人」という意味で「ガマフヤー」と表現する。
具志堅氏は、1982年から40年にわたり、沖縄戦戦没者の遺骨と戦争遺物を収集・記録し、家族の元へ返すというボランティア活動に取り組んできた。

2022年7月にはスイス・ジュネーブで開かれた国連の先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)の会合に参加し、遺骨土砂問題の解決と台湾有事の回避を訴えるなど、今なお精力的に活動を行っている。

本書では、具志堅氏が遺骨収集を始めることになったきっかけや活動しながら抱いた思い、そして、県や国といった行政の壁とのぶつかり合いと、その壁を越えた先に起こった周囲の変化などが描かれている。

「遺骨は沖縄戦の証言者」
「沖縄戦で殺された人々の叫びを多くの人に知ってほしい」

戦没者の遺骨を家族に返してあげたいという思いに突き動かされながら、誰に頼まれたわけでもなく、ひたむきに活動し続ける著者の行動力と言葉が、胸に深く重く、響いてくる一冊だ。

『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。: サトウキビの島は戦場だった』
著者:具志堅 隆松
発行 ‏: ‎ 合同出版
発売日 ‏: ‎ 2012年8月31日

(2)「未来に伝える沖縄戦」2~7巻

本書は2013〜2016年に、沖縄県内の中学生・高校生が沖縄戦体験者を訪れて、その証言を聞き、記録するという連載企画「未来に伝える沖縄戦」をまとめたもの。

本書では1冊あたり10名を超える戦争体験者を中高生がインタビューしている。1つの記事は、新聞に掲載用ということもあり、戦争体験者の話や当時の地図、写真などの資料に加え、「聞いて学んだ」という学生たちの所感が簡潔にまとまっている。

戦争を体験した人たちは、当時、住んでいた地域も年齢も、性別も立場も境遇も異なる。日付や地名を挙げながら詳細に語られた体験談は具体的で生々しく、その全てが同時期に沖縄県の至る所で起こっていたのだということに、今更ながら驚いた。
また、体験談に加えて、「聞いて学んだ」に描かれた話を聞き終えた学生たちの戦争と平和に対する考えの変化、素直な反応などにも注目したい。

戦争体験者の高齢化が進み、今の子供たちが戦争体験者の話を直接聞くことのできる最後の世代になる。戦争体験の記録作業と記憶継承の重要さに改めて向き合い、今、自分が何をすべきか考える機会としてほしい。

『未来に伝える沖縄戦』2~7巻 
※1巻は在庫切れのため販売終了
発行:琉球新報社
著者:琉球新報社社会部(編)

(冒頭の写真はイメージ)