11月5日は「世界津波の日」 津波被災の教訓を今に伝える

115日は「世界津波の日」だ。20152月の第70回国連総会本会議で142か国がともに提案し、採択された。この会議では津波の日の制定以外に、津波の早期警報、伝統的知識の活用、「より良い復興」を通じた災害への備えと迅速な情報共有の重要性を認識することと、すべての加盟国、組織、個人に対して津波に関する意識を向上するために、適切な方法で世界津波の日を遵守することを要請することが決議されている。

なお、115日が「世界津波の日」に選ばれたのには、1854115日に和歌山県を襲った安政南海地震の際に、村人が収穫した稲むらに火をつけることで暗闇の中でも村民を避難誘導し、多くの命を救った「稲むらの火」の逸話に由来しているという。

記憶に新しい東日本大震災の津波

2011年の東日本大震災では岩手県、宮城県、福島県の沿岸に津波が押し寄せた。岩手県では一番高いところで23.8m(大船渡市綾里湾)にもおよんだ。岩手県内では死者4672人、行方不明者1,122人、合計5794人にもなり、過去に押し寄せた三陸地震津波(1896年、1933年)、チリ地震津波(1960年)をはるかに上回る被害がでた。

東日本大震災の際に、これらの過去の地震の教訓を生かせなかったのではという意見も多くあり、東日本大震災後にはこの教訓を生かそうと資料館が作られたり、震災遺構として被害にあった建物が保存されたりしている。

窓ガラスなどはほとんどなくなり、コンクリートの部分だけが残っている。

教訓を未来に生かす

岩手県の陸前高田市では15m超える津波が襲来し、死者1556人、行方不明203人、家屋は4046棟倒壊する被害が出た。現在、津波が押し寄せた場所は更地になり、海岸沿いには「高田松原 津波復興祈念公園」が作られ、「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMI メモリアル」や震災遺構の「奇跡の一本松」「陸前高田ユースホステル」「下宿定住促進住宅」が保存されている。平日でも大型バスで震災の教訓を学ぼうと多くの人が訪れている。

また岩手県では震災から6年後に「いわて震災津波アーカイブ 希望」をインターネット上で公開し、24万点のデジタルデータで震災当時の新聞記事や犠牲者の行動記録を見ることができる。教育用の教材もダウンロードでき、将来のためにどのような備えが必要かを学ぶことができるようになっている。

東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMI メモリアルと道の駅が入っている建物
気仙川のほとりに立ち、浸水したままの「陸前高田ユースホステル」と奇跡の一本松(モニュメント)

実際に津波が来たらどうすればよいか

首相官邸のホームページでは津波から命を守るための情報が載せられている。まずは自分の住んでいる地域の津波ハザードマップを確認し、いざというときにどこに逃げるべきかを確認し、日ごろから避難訓練に参加することが大事である。しかし、実際に津波が起こった時には逃げない人や逃げても戻って津波に合う人も多い。

群馬大学大学院広域首都圏防災研究センター長片田敏孝教授は、政府が作成した動画「津波から命を守る! 津波避難3原則」の中で、津波の避難3原則として「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」「率先避難者たれ」が大事だと話している。ハザードマップで示している浸水区域などは1つのシナリオであり、それ以外の区域にも津波が押し寄せることがある。

そのため、想定にとらわれず、避難するという行動において最善を尽くし、誰も避難しなくても、自分が率先して逃げるという心掛けが大事であるという。「自分がちゃんと逃げることで周りの人も同調して逃げるし、その親も安心して逃げられるし。自分が逃げないことで、自分を探すために戻る人が犠牲になる」のだという。

日頃の訓練により一人の犠牲も出さなかった気仙中学校。校舎は屋上まで津波に飲まれた。
かつて約7万本の松が植えられていた高田松原の海岸に再び植えられた松

震災はいつ来るかわからない。わからないからこそ、訓練をしていてもパニックに陥り、訓練通りのことができないことがある。しかし、訓練をしていないと何も行動できずに逃げ遅れることになる。今後、太平洋側で南海トラフ地震や千島海溝で起こる地震で東日本大震災を超える津波が来ることが予想されているので、東日本大震災の教訓を生かし、被害を最小限にする日頃の心掛けが必要である。

(冒頭の写真は、4階の天井を超える津波に襲われた陸前高田市の「下宿定住促進住宅」)