核兵器の脅威を今に伝える、第五福竜丸展示館

新木場駅を降り、首都高速道路湾岸線と国道357号線が走る方向へ向かう。夢の島交差点の信号を渡ると、すぐに緑が目に入る。都立夢の島公園だ。陸上競技場を眺めながら公園内を進んで行くと、緑の中に三角屋根の建物が見える。この三角屋根の展示館に、第五福竜丸は展示されている。

緑に囲まれた展示館の中に、第五福竜丸の船体が保管・展示されている

「第五福竜丸」という名前自体は、学校の教科書で一度は目にしたことがあるのではないだろうか。1946〜58年の間に、アメリカはマーシャル諸島において67回の核実験を実施した。そのうち、1954年3月1日にビキニ岩礁で実施した水爆「ブラボー」の実験により、第五福竜丸は被ばくした。木造のマグロ漁船として遠洋漁業に出ていた第五福竜丸は、この実験による放射性降下物「死の灰」をあびた。館内には「死の灰」実物も展示されている。

乗組員全員が被ばくによる症状を発症、病と闘いながら、差別にも苦しむ。放射能に汚染されたマグロは廃棄され、埋められた。被ばくから半年後には、無線長の久保山愛吉さんが40歳で亡くなった。第五福竜丸以外にも被害を受けた漁船は多く、乗組員たちが被ばくした可能性があるが、被害の全貌はわかっていない。また、マーシャル諸島での被害の全貌も明らかではないが、ビキニ岩礁には水爆ブラボーによる巨大なクレーターが残っている。

第五福竜丸が被ばくした「ビキニ事件」のあった1954年3月下旬から、水爆実験反対の署名運動が全国に拡大した。同年8月には広島長崎の原爆反対署名運動などと集約する形で、原水爆禁止署名運動全国協議会を結成。広島の被ばくから10年となる1955年8月6日、第一回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。この大会で、広島長崎の被ばく者代表とともに、久保山さんの妻、すずさんも登壇した。のちにノーベル平和賞を受賞する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、翌年1956年第二回の原水爆禁止大会時に結成された。原水爆禁止運動は、第五福竜丸の被ばくから一層拡大して行われたことがわかる。

第五福竜丸の船体は現在、同展示館で保管されており、誰でも見ることができる。館内は船体を囲む形で、付属品や関係資料を展示している。もともとは静岡県焼津港所属の船だったが、1967年に廃船となった第五福竜丸は、当時ゴミの埋め立て場所だった夢の島に捨てられた。保存を求める声に応えて、東京都により展示館が建てられ、現在も保管されている。

この展示館は、第五福竜丸の被ばく者の声だけではなく、マーシャル諸島の被ばく、世界の核実験と核兵器に関する展示、核関連年表なども展示され、内容が多面的だ。被害者の痛みや苦しみを感じると同時に、核兵器の脅威を、現代への歴史的教訓として伝えている。

記念館の外には、久保山愛吉さんの記念碑が建てられ、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉が刻まれている

【施設情報】
都立第五福竜丸展示館
東京都江東区夢の島2-1-1夢の島公園内
https://d5f.org
TEL:03-3521-2900
開館時間:9:30~16:00(月曜日休館、祝日の場合開館し火曜日休み)
入場無料