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佐渡金山・続編 近代化の模範鉱山の役割を担った「道遊坑」に入る

江戸時代に開発された手堀りの坑道宗太夫坑そうだゆうこうを以前紹介したが、約1カ月後に佐渡金山を再訪し、明治期の近代化から1989(平成元)年の操業停止まで使われていた坑道「道遊坑どうゆうこう」に入った。ここは2009年から一般に公開されるようになり、採掘跡地はほぼ当時のままの状態で保存されている。

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佐渡金山 道遊坑入り口

坑道内にはトロッコの線路が敷かれていて、鉱石を運んでいたトロッコもある。鉱石を積んだトロッコは破砕場へ運ばれ、鉱石を降ろして空になると、この坑道を通って坑内へ戻ってくる、というサイクルで運搬されていた。坑道の外に出ると、採掘機械の修理を行う工場がある。鉱石の積み込み機やトロッコのけん引に使われた蓄電式機関車もある。これらのほとんどは戦前に製造されたものであり、国内では今ではほとんど目にすることができない貴重な産業遺産といえる。当時の佐渡鉱山は採掘技術だけでなく、機械による保守・管理にも高度な技術を持っていた。

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鉱物を運んだトロッコ

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鉱物を運んだトロッコのレール跡地

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修理のための工作機械展示室

近代化の模範鉱山として日本の鉱業界の発展に寄与した佐渡金山は、戦時中の乱掘などにより、鉱石が枯渇し、1989(平成元)年3月末に操業停止となった。戦後わずか5年後の1950(昭和25)年に撮影された佐渡鉱山のドキュメンタリー映像があるが、鉱山で働く人々は日本の復興のため、また自分自身が生き延びるために必死で働き、1年に一度の秋祭りが唯一の楽しみだったという。このような人々の汗と努力が今日の日本を生み出していたのだ。頭が下がる思いだ。

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道遊坑