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世界遺産を巡る_日本・沖縄県「首里城跡」

世界遺産を訪れる 沖縄県「首里城跡」

2000年12月2日に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が日本で11番目の世界遺産として登録された。
グスクとは、琉球王国時代に王や英雄が築いた城のことで、沖縄本島内には大小様々なグスクとその関連遺跡がある。その中から、特に琉球の歴史が色濃く残る5つのグスク(首里城跡、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)の計9か所が世界遺産に登録されている。

この記事では9か所の城のうちの1つ、首里城跡について紹介していく。

歴史に翻弄されてきた首里城

那覇市内を一望できる高台に位置する「首里城」。沖縄のシンボル的存在であり、国内外で人気の高い観光地だ。

首里城の歴史は古く、1429年に北山・中山・南山と呼ばれた3つの国を中山の尚巴志氏が統一して琉球王国が設立した頃には、すでに建設されていたとされている。その頃から首里城は、琉球王国の国王の居城として、そして政治、外交、文化の中心地として栄えていった。

しかし、1872年に明治政府の命により琉球王国が「琉球藩」となったことで、約450年間続いた琉球王国は終焉。さらに1879年に琉球藩から「沖縄県」となって以降、首里城は日本軍の駐屯地や学校の校舎として使われるようになった。そして1945年。第二次世界大戦の沖縄戦によって首里城は全焼した。

戦後、首里跡地は琉球大学のキャンパスとして使われていたが、1984年の琉球大学移転に伴い、復元事業が推進されることとなった。しかし真っさらな平地からの復元工事は容易では無く、長い時間を要したという。工事着工から30年以上の年月を経た2019年3月、太平洋戦争で焼失した正殿や破壊された城郭等を含む、すべての復元整備工事がついに完了した。

しかし復元整備工事完了から数ヶ月後、同年10月31日の火災によって正殿や北殿など8つの建物が消失してしまった。

復元工事用建屋の外観

復元工事用建屋の外観

首里城公園内に設置された展示パネル

首里城公園内に設置された展示パネル

世界遺産登録の「首里城正殿基壇の遺構」とは

首里城を世界遺産という観点で改めて見直してみる。ここで1つ確認しておきたいのが、世界遺産に登録されているのは「首里城跡」、つまり「首里城正殿基壇の遺構」の部分だということだ。ガイドブックなどでよく目にする朱色の鮮やかな建物自体は、実は世界遺産には登録されていないのだ。
「基壇」とは建物を支える土台のことで、首里城の基壇遺構を調べると、少なくとも過去7回にわたって正殿が建て替えられたことがわかっているという。

首里城公園管理センターによると、首里城の火災は琉球王国時代に3回と沖縄戦、そして2019年の火災は5回目の火災だという。長い歴史の中で幾度も災難に遭いながらも「首里城正殿基壇の遺構」は消失を免れ、その歴史を繋いできたのだ。

首里城跡は現在も世界遺産として登録されている

首里城跡は現在も世界遺産として登録されている

 

「首里城正殿基壇の遺構」の説明パネル

「首里城正殿基壇の遺構」の説明パネル


復元完了直後の火災、そして復興へ

2019年10月の火災の後、2022年から首里城では正殿等の復元に向けた工事が進められている。今回の復元工事では、作業の現場や過程を一般向けに公開・発信する段階的公開が行われている。2026年に首里城正殿の復元完成、その後、北殿・南殿などを含む、すべての復元工事の完了目標は2028年を予定しているという。

今回の復元工事では焼失した首里城正殿の柱を支えていた礎石(細粒砂岩)を柱や壁面等の漆塗りの原料として再利用する試みも行われており、細粒砂岩の粉を製作する作業にボランティア参加もできる。

首里城には沖縄県民のみならず連日国内外から多くの観光客が訪れている。2022年の工事開始以降、筆者も何度か首里城に足を運んだが、復元作業が現在進行形ということで訪れるたびに新しい発見がある。
沖縄を訪れた際には、日々変化する首里城の「今」の姿を見て、地域の歴史と文化に触れ、これから先の未来にも思いを巡らせてほしい。

焼け残った正殿屋根の赤瓦等が展示されている

焼け残った正殿屋根の赤瓦等が展示されている

 

「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」のフレームの一部

「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」のフレームの一部

首里城復興展示室の外観

首里城復興展示室の外観

*写真撮影日:2023年3月24日