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72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(1)

72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(1)

長崎市。平和公園から歩き始めて市内を歩くと、そこには住宅と史跡と教会とが混在している。長崎の原爆の記憶は、切り取られた断片として資料館に置かれているのではなく、人々の生活の中にともに存在していた。日本では珍しく、いたるところで教会が目に入る光景は「祈りの長崎」を象徴していた。

8月9日に、1945年の原爆投下から72年目を迎えた長崎。この街で改めて、平和の意味について考えてみた。

長崎平和公園を歩く

長崎で原爆関係の史跡を案内してくれたのは山岸ゆかさん(仮名)。広島で平和活動を続け、現在は長崎に移り住んでいる被爆者のひ孫・孫世代だ。山岸さん自身は曽祖父が被爆者だが、幼少期に亡くなっているため直接原爆の体験を聞いてはいない。広島の原爆資料館を見学したときは恐怖を感じ、もう二度と関わりたくない、知りたくないと考えた。しかし家族である曽祖父の存在を意識したとき、平和について発信しなければならないと感じるようになったという。今は戦争や原爆被害を実際に経験した人たちからその悲惨さを学び、語り継ぐ活動をしている。幼少期を過ごした広島では、平和に関する教育をしっかりと受けた。そのことが今の活動につながっているのだという。

平和公園は長崎市内のやや高台にあり、階段かエスカレーターで登るようになっている。エスカレーターは、被爆者の高齢化に伴い近年設置されたという。エスカレーターの入り口付近には、原爆が投下されたとき、市街中心部で唯一生き残った少女が入っていた壕がある。ここは崩落の恐れがあるため、今では中に入ることはできない。エスカレーター設置工事の際には、この壕も一部分削られたという。被爆者および戦争体験者の高齢化が進み、生身の経験を語ることができる人たちの数が減り続けていることを身に染みて感じた。

平和公園を訪れる意味

エスカレーターを上がったところに、豊かに水が流れる噴水「平和の泉」がある。原爆が投下されたとき、多くの人々は水を求めながら亡くなった。そのため公園では慰霊のため、水を絶やさないようにしているのだという。噴水には、水を求めて苦しんだ少女の手記が刻まれている。

 「のどが乾いてたまりませんでした。
 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
 どうしても水が欲しくて
 とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」

噴水の前を通ったとき、観光客が少女の手記の前でポーズをとりながら記念撮影をしていた。そしてそれを見た通りすがりの女性たちが「不謹慎だ」と非難する声が聞こえた。山岸さんはそれに対して静かにこう言った。「観光であってもここに来たら、誰しもが平和について考えるきっかけになります。だから、ポーズをとって写真を撮ることを良いとは思わないけれど、否定はしない。来てくれたことに意味があるのだから」。

72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(1)
水を求めて亡くなった少女の手記がある公園の入り口。手記の碑の先には「平和祈念像」が見える

公園を進むと、各国から贈られた平和のモニュメントがあちこちに配置されていた。モニュメントの中で1つだけ他のものと様相が異なるものがあった。中国から贈られた「乙女の像」。柔らかそうな服を身につけた白く美しい女性の像だ。しかしこの像の周りだけが柵で覆われ、センサーも設置されている。過去、この像に赤いペンキを塗られたことがあったためだという。ペンキの跡は今も残っている。平和を切に求めるこの場所においても、民族間の憎悪や思想の争いが存在しているのを目の当たりにした。

72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(1)
中国から贈られた「乙女の像」。腹部にはペンキの跡が残る。この像だけが柵に囲まれていた

「72年目の原爆記念日を迎えた長崎――平和の価値について考える(2)」へ続く。

 
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