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ドイツ北端の「幸運の城」グリュックスブルク城

ドイツ北端の「幸運の城」グリュックスブルク城

人は何をもって「幸運」だと感じるのだろうか?かつて幸運を願って城を建てた城主が北ドイツの外れにいた。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にあるグリュックスブルク城は、その名も「幸運の城」を意味する。グリュックスブルクの歴史は1583~1587年にかけてデンマーク国王の三男ヨハン公が、この地に城を建てたところから始まる。デンマーク王家と深い縁を持つこの城は、実は欧州の各王室とも密接に結びついている。400年以上にわたる歴史の中で戦災に遭うこともなく、多くの幸運に恵まれたこの城と一族の歴史をたどってみたい。

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
グリュックスブルク城は戦災に遭うことなく、400年以上の時を生き延びた

「神の幸運」を求めてつけられた名前

ハンブルクからさらに北へ160km。ここにドイツ最北端に位置する都市フレンスブルクがある。ここまで来ると、デンマークはもう目と鼻の先だ。かつて、シュレースヴィヒ公国と呼ばれたこの地域には、昔からドイツ人とデンマーク人が共存していた。そのフレンスブルク近郊にグリュックスブルク城はある。豊かな自然に囲まれた湖に面して建つ白亜の城は、多くの名城のような際立った華やかさはないが、控えめで美しい貴婦人のような優雅さをたたえている。

マルティン・ルターが宗教改革を起こしたのが1517年。グリュックスブルク城を建てたヨハン公の父クリスチャン3世はルターの信望者で、早くからプロテスタントを受け入れた。その息子であるヨハン公が居城の中に造ったチャペルは、ドイツで最も古いプロテスタント教会のひとつに数えられている。当時、城の中には専任の牧師が常駐しており、このチャペルでは毎朝礼拝が捧げられていたという。

城を建てる際にヨハン公が選んだ格言が「神は平和とともに幸運をくださる」だった。「幸運(グリュック:Glück)」という言葉にちなんでこの城は「グリュックスブルク」と名付けられ、のちにそれが家名にも付け加えられるようになった。

ドイツ北端の「幸運の城」グリュックスブルク城
ドイツで最古のプロテスタント教会のひとつとされる、城内のチャペル

家系の復興、そして欧州王室とのつながり

ヨハン公は23人の子宝に恵まれるが、その後5世代で直系は途絶え、1779年にグリュックスブルク城はいったんデンマーク王家の所有となる。しかしその後、ヨハン公の傍系の子孫であるフリードリヒ・ヴィルヘルムがグリュックスブルク家を継ぎ、そしてこの中からデンマークの王位を継ぐクリスチャン9世が出ることになる。

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
いったんは断絶したグリュックスブルク家を引き継いだフリードリヒ・ヴィルヘルムと妃、その子どもたちの肖像

このクリスチャン9世の子どもたちは欧州各国の王室と婚姻関係を結び、その閨閥は当時の欧州を席巻したと言ってもいい様相だった。長女のアレクサンドラは英国王エドワード7世に嫁ぎ、その妹のダウマーはロシア皇后となった。また、次男のヴィルヘルムはのちにギリシャ王位を継承してゲオルギス1世となる。現英国女王のエリザベス2世もその夫のエディンバラ公フィリップ王配もクリスチャン9世のひ孫に当たり、ノルウェー国王ハーラル5世は玄孫に当たる。そんなこんなでクリスチャン9世に冠せられた呼称は「ヨーロッパの義父」。やや微妙なネーミングではあるが、王位継承、子宝という幸運に恵まれたグリュックスブルク家のサクセスストーリーがお分かりいただけるだろうか。

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
グリュックスブルク家からデンマーク国王となったクリスチャン9世とルイーゼ妃

弱小貴族だったがゆえの「幸運」

グリュックスブルク家はもともと、決して裕福な貴族ではなかったという。デンマークという小国の王家の、さらにまたその傍系。しかし欧州の他国で起こった、血で血を洗う骨肉の争いとも、革命による没落とも無縁だった。始祖であるヨハン公がプロテスタントの信仰をもってこの城を建て、神の平和と幸運を願い求めたという経緯は興味深い。

本来、城の持つ機能は大きく分けて3つあるという。それは居住と政治、そして戦争だ。グリュックスブルク家は大きな政治力を持たなかったため、この城はもっぱら居住のための場所として機能した。床は簡素な木材で作られ、内装も華やかな装飾とは無縁だが、当時のままの美しい家具調度や18世紀のゴブラン織りなどが残されており、往時の控えめながらも優雅な貴族の生活が垣間見られる。何よりも窓から望む湖の眺めが素晴らしい。

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
かつて使われていた家具調度がそのまま残されている居住空間

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
2階のパーティーホールに飾られていたベルギー製の高価なゴブラン織り

「それでその後、グリュックスブルクのご本家はどうなったのですか?」と城内を案内してくれたガイドの方に尋ねてみると、「今もご当主とその家族がお城の離れに居住されていますよ」とのことだった。グリュックスブルク城自体は財団によって管理されており、グリュックスブルク家の現当主がその理事長を務めている。

ちなみにグリュックスブルク家の正式な名称は「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク」なのだそうで、フルネームで呼びかけるのは長すぎるため、たまにご当主が現れることがあると、周りの人たちは昔風に「殿下(Hoheit)」と呼びかけるのが慣例なのだそうだ。

ドイツ北端にある「幸運の城」「神の幸運」に守られたグリュックスブルク城
往時を再現したバンケットルーム。ここを借り切って結婚式もできる
 

Schloss Glücksburg
24960 Glücksburg
http://www.schloss-gluecksburg.de/

【開館時間】
10:00-18:00
*11月~4月は11:00-17:00

【現地へのアクセス】
フレンスブルク中央バスステーション(Flensburg ZOB)から21番のバスでグリュックスブルク中央バスステーション(Glücksburg ZOB)まで約20分。

in association with the GNTB/協賛:ドイツ観光局