リカバリーカルチャーって何?(3)依存症から回復した大統領夫人

リカバリーカルチャーって何?(3)依存症から回復した大統領夫人

どこの国でも、著名人が依存症であることをカミングアウトし、正確な情報を世の中に伝えてくれることは、依存症問題の啓発に大きな役割を果たす。そういう意味で米国の、そして世界のリカバリーカルチャー*にとって画期的な働きを果たし、同問題への先鞭をつけた人物をご存知だろうか? 米大統領夫人だったベティ・フォードだ。

*リカバリーカルチャー:アルコールや薬物などの依存症から立ち直った回復者(リカバリー)が、回復した姿を社会に示していくことで作られる文化。

解説:垣渕洋一
成増厚生病院・東京アルコール医療総合センター長
専門:臨床精神医学(特に依存症、気分障害)、産業精神保健
資格:医学博士 日本精神神経学会認定専門医

 

欧米で見られる著名人のカミングアウト

近年、人々の記憶に新しいカミングアウトの例としては、英国の俳優ダニエル・ラドクリフがいる。11歳の時に出演した『ハリー・ポッター』で、瞬く間にスターになったが、「落ちぶれるかもしれない」という恐怖と常に対峙する中で飲酒に走り、一時は撮影現場に酔った状態で現れたこともあるという。彼はその後、断酒に成功しているようだ。オーストラリアでは、オリンピックで金メダルを5つも取ったことのある水泳選手イアン・ソープが10年間、うつ病とアルコール依存症で苦しんだことをカミングアウトした。

一方、依存症から回復する過程までをリアルタイムで開示する著名人は多くはなく、そういう意味でもベティ・フォードの存在は画期的だった。
 

現役大統領夫人だった時期に依存症を発症

ベティ・フォードは第38代米国大統領ジェラルド・R・フォードの妻として、1974~77年まで米国のファーストレディを務めた。そしてまさにその期間に、アルコール依存症(鎮痛剤への依存症も合併)を発症した。1978年、60歳の時にロングビーチ海軍病院の4人部屋に入院、断酒をするための治療を開始しリカバリーとしての道を歩み始めた。回復の過程を自ら綴った『A GLAD AWAKING』(直訳:喜ばしい・素晴らしい目覚め、邦題『依存症から回復した大統領夫人』)という本には、彼女の生い立ちから依存症になるまでの経緯、しぶしぶ受け入れた入院などについての経緯が描かれている。最初は自分が依存症であることが受け入れられなかったが、徐々に納得し、シラフで生きる方が素晴らしいと価値観が転換していく様など、心の変化が赤裸々に描かれていて、1987年に出版されると、たちまちベストセラーになった。
 

ベティ・フォード・センター設立の経緯

主治医の指示に従い、彼女は院内のプログラムと並行して最初から、女性達のAA(自助グループ)のミーティングに参加した。先行く人達がモデルとなり、教師となり親友にもなって伴走してくれたことが大きな助けになってくれたことに感謝し、それに対するお返しとして治療施設を作ることを決意する。というのも当時はまだ、「女性がアルコール依存症になるなんてはしたない」という考えが社会に強くあり、女性の依存症者が男性以上の偏見にさらされ、傷ついていることを目の当たりにしたからだ。ベティは男女を問わず、自己否定感、見捨てられた不安、深い悲しみといった否定的な感情が癒され、アルコールや薬に頼らないで生きていける人へと回復することを目指す治療施設が必要だと考えた。

リカバリーには元来、真面目でバイタリティあふれる人が多い。そういう人が飲酒をするために使っていたエネルギーを生産的なことに振り向けると、それまでごく普通の人だった場合でも何かを成し遂げる人は多い。社会的地位のある人ならなおさらで、ベティ・フォードはその代表例だと言える。施設を作ろうと思い立ってから3年、地位と人脈をフル活用し、寄付を募って資金を調達し、優秀なスタッフを集めた。そして彼女自身の断酒開始からわずか4年後の1982年10月、ベティ・フォード・センターの開所にこぎつけた。以来37年、同センターは米国内のみならず世界中から依存症者を温かく迎え続け、多くのリカバリーを輩出してきた。

芸能人でも勇気がいる告白を、大統領夫人が告白することはどれだけ大変なことだっただろうか。また、ただ依存症であることを告白するだけにとどまらず回復の過程を公表し、自身が回復してからはベティ・フォード・センターを立ち上げ多くのリカバリーを輩出することで、「依存症は、適切な治療を受ければ回復する」ことを社会に認めさせた。また、女性が治療を受けやすい環境を整えた。ベティ・フォードによるこれらの功績は、リカバリーカルチャーを語る上で欠かせない絶大なものだ。

(冒頭の写真はイメージ)

リカバリーカルチャーって何?(1)語り始めた依存症からの「回復者」たち【前編】

リカバリーカルチャーって何?(2)先進国・米国に依存症治療施設を訪ねて【前編】