
[書評]ニセ科学の闇を照らす灯『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』
惑星科学者のカール・セーガン(1934-1996)といえば、ベストセラーとなった科学ドキュメンタリー『COSMOS』(1980)とそのテレビシリーズが印象的で、私もその影響を受けて科学の道を志した一人だ。本書は彼の遺作となる長編科学エッセイだ。
第1章、彼を「あの科学者」と知った運転手が質問してきたのは、空軍基地内に冷凍保存されている宇宙人や失われた大陸のことだった。著者にとって、科学を正しく伝えることの難しさと、ニセ科学が社会に浸透している実態を肌で実感した出来事だった。日本のオウム真理教も引き合いに出され、単なる教養不足ではない根の深い問題だという。第2章では科学による希望を語る。科学的な思考法は訓練によって鍛えられるもので、実験による検証でエラー修正機能が組み込まれている。科学の懐疑精神はさまざまな主張を効果的に調べるための道具として、民主主義の価値とも相性がよいとしている。
第3章から第11章までは、宇宙人による誘拐問題が俎上に上げられる。「空飛ぶ円盤」が初めて目撃された1947年以降、UFO目撃報告は百万件を超えるのにも関わらず、信憑性のある報告は一つもない。実際には国防上の機密が絡んでいるため情報公開されないのだが、著者はそれが不祥事の隠蔽に用いられているのではないかと推測し、秘密主義は科学や民主主義と根本的に相容れないと指摘する。宇宙人に誘拐されて体をいじられた後に解放されたと主張する人も後を絶たず、ある調査ではその経験者は米国人の2%に達するという。著者は、これを古くから人々を脅かし中世において魔女狩りの惨禍を引き起こした悪魔悪霊が、現代風に衣替えしたものではないかと推測する。あるいは幼少期の性的虐待の影響や、セラピーの過程で植え付けられたニセの記憶の可能性も考えられる。
後半の第12章から第25章までは、より広範囲な論点で科学に対する洞察が進められていく。第12章「“トンデモ話”を見破る技術」では、論理的な落とし穴や罠に気づくための方法を指南。第16章「科学者が罪を知るとき」では、水爆の父と呼ばれたテラーが、水爆の技術が人類に及ぼす脅威について客観性を欠くことになったことを通して、科学者の倫理的責任が途方もなく重いと説く。第17章「懐疑する精神と驚嘆する感性との結婚」では、真理の追及には懐疑だけではなく、驚嘆する感性とのバランスが不可欠だという。第18章「風はほこりをたてる」では、砂漠の原住民が獲物の足跡から驚異的な情報を読み取ることを例に、科学が普遍的な知識体系で人類共通の財産であると述べる。また、第19章「くだらない質問というものはない」他いくつかの章で、一般人にどのように科学を普及させるかを模索している。
大著であり、遺作ともなったように、これだけは言い残しておかないといけないという気迫に満ちている。ニセ科学に対して対処するために必要なことは科学的な懐疑精神であり、それは中古車を買う時に使う程度の懐疑精神でいいという。ニセ科学や陰謀論が蔓延して科学リテラシーの危機が叫ばれるこの時代に、セーガンのメッセージはいっそう輝きを増している。
『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』
原題:The Demon-Haunted World: Science as a Candle in the Dark
著者:カール・セーガン
訳者:青樹薫
発行日:1997年9月20日(原著1996年)
発行:新潮社
【書評】科学者の随筆・評伝