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終戦間際の惨劇、八王子・湯の花トンネル空襲と今に続く慰霊の碑

休日には登山客や観光客でにぎわうJR高尾駅。そこからバスで7分ほど行ったところに、終戦間際に空襲による銃撃を受けた() の花トンネルの慰霊の碑がある。

高尾駅からバスに乗り、車の行き来が多い大通りを抜けると、車がすれ違うのも困難な山に囲まれた住宅街の道に入る。この道は高尾山への登山ルートの一つで、リュックを背負った登山客も目にする。

慰霊の碑の最寄りバス停である蛇滝口バス停のそばには慰霊の碑の案内板が立てられ、線路に向かって民家や畑を通り過ぎたところに慰霊の碑がある。そこから線路方面に歩いていくと空間が開け、上空には高速道路の中央道や圏央道の高架が、そして線路の先には湯の花トンネルが見えてくる。

この場所で終戦間際、東京から山梨や長野へ向かう下り列車を銃撃した空襲があった。現在の慰霊の碑の位置から近くに見えるトンネルは上り列車側だが、当時は単線であり、現在の上りの線路を下り列車も利用していたため、手前側のトンネルが実際に銃撃の現場となった場所だ。

1945年8月2日未明、八王子市は空襲を受け、市街地の約8割が消失、約450名が亡くなった。当時の国鉄八王子駅(現在のJR八王子駅)も消失したため、中央線は不通となった。8月5日、3日ぶりに全面復旧し、最初に出発した新宿発長野行きの列車が銃撃されたのだ。

列車は途中の立川駅や浅川駅(現在の高尾駅)から満員となり、自宅や疎開先に向かう人、兵士たちを乗せて長野方面へ向かっていた。そして浅川駅を出発して間もない午後0時20分ごろ、湯の花トンネル付近で米軍機四機による銃撃を受けた。

トンネルの長さは短く、車両をけん引していた機関車と客車一両半がトンネルに入ったところで急停車し、入りきれなかった車両は繰り返し銃撃された。乗客は銃撃の合間に車外に逃げ出し、近くの山林や沢、トンネル内に隠れた。死者は60名以上、負傷者は130名以上とされる。

慰霊の碑に手を合わせていた短い時間にも、下り列車が通過していった。現在も東京と長野を結ぶ電車が走り、特急電車は平日でも満席になることが多い。銃撃を受けた日も晴れていたというので、まさにこんな快晴の日に、山梨や長野方面へ向かっていた人々がここで亡くなったのだろう。

現在も、高速道路や中央本線の普通列車や特急列車を利用すれば、この地点を通過することができる。しかしトンネル自体も短く、意識しなければ湯の花トンネルを通過していることに気がつかない。歩いて線路に近づかなければ、慰霊の碑を目にすることもない。 最近、「戦争は兵士同士だけが戦えばいい」という言葉を目にした。誰が兵士として戦うのだろうか。国同士の争いになったとき、民間人に影響なしに戦争ができるのだろうか。戦争が一度始まってしまえば民間人を巻き込むことなしに戦うことはできないのだろうと、慰霊の碑に刻まれた人々の名前を見ながら考えた。

亡くなった方々の名前が刻まれている慰霊の碑

【施設情報】
湯の花トンネル
東京都八王子市裏高尾町800 付近
TEL:042-664-8615(いのはなの集い事務局)