【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

ある6月の土曜日朝。思い立って、東京駅から「特急わかしお号」に乗り、JR外房線大原駅を降りた。

筆者は、臨床精神科医を生業としながら当サイトで医療コラムを執筆しているが、以前から書いてみたいと温めていたのが、「鉄道」だ。この日、乗車しに来たのは千葉県を走るローカル線「いすみ鉄道」。同社社長の鳥塚亮氏との出会いで、「癒し」という側面から見たローカル線の新しい価値を見出した。鉄道レポートと共に癒しの効果について考察すべく、筆を執った。

大原駅~大多喜駅、田園風景を走るムーミン列車

いすみ鉄道の大原駅に入る。待合室には、「ここには、何もないがあります」というキャッチコピーが書かれたポスターが貼ってある。ワクワクしてくる。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

1日乗車券(1000円)を購入し、ホームに入ると気動車が止まっていた。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

女性グループの「かわいい!」という声が聞こえる。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

何と、ムーミン一家が勢ぞろいしていた。

鉄オタの男である私が乗るには、少々気恥ずかしいが、車内に入って、進行方向左側の席に陣取った。人が少しずつ乗ってきて、8割方が埋まったところで、発車時刻になった。「プオーン!」と警笛を鳴らし、ディーゼル機関がうなり、加速していく。外房線と離れると、あっという間に田園地帯に突入。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

田植えが終わった水田と森と青い空が織りなすコントラストが目に心地よい。2012年に走り始めた新しい車両だが、なつかしい昭和の雰囲気をイメージして、座席は紺のモケット地のクロスシートで、下段上昇式に開く窓である。窓を開けると、心地よい風に乗って、頑張って仕事をしているディーゼル機関の声と、レースのジョイント音が飛び込んでくる。昔ながらの短いレールだが、時速40kmとゆっくりなので、「トコトコ走る」という表現がピッタリ。

列車が森の中に入って速度を落とし、「右側をご覧ください。ムーミン一家が小さな池のほとりに住んでいます」とアナウンスが入った。

【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(1)

同じ席に乗り合わせたシニアのご婦人の方が、「ムーミン! 私達は全然鉄道マニアとかじゃないけれど、この車両といい風景といい、懐かしくていいね!」と話されていた。高層ビルが立ち並ぶ東京で毎日生活していて、知らず知らずのうちに緊張している脳と体が緩むのを感じる。30分ほどで大多喜駅に到着。ムーミン列車はここまでである。

大多喜駅、鳥塚社長との出会い

駅で、いすみ鉄道の鳥塚亮社長を発見した。近寄って、名刺を交換し、<社長のブログ>を読んでいることや、脳がリフレッシュしたことを伝えた。アルコール依存症専門医と書かれた筆者の名刺を見て、「ローカル線療法ですね! 私、飲兵衛だから、お世話になるかも(笑)」と。

鳥塚氏は、「鉄道好きで国鉄に入社したかったが、大学卒業時に新規採用がなく、航空会社に入社した」のだが、何と副業として、鉄道前面展望ビデオの販売を行っていたという<鉄分(※)>の高い方である。(※鉄道を愛する度合いのこと)

いすみ鉄道の前身は、1930年に開業した国鉄木原線。千葉県の房総半島東部、低い山の合間に水田が広がり、人家が点在する田園地帯を走っている。開業当初から赤字に悩まされ、1981年、廃止対象になった。国鉄時代は廃止を免れたが、JRに移行した翌年の1988年、第三セクターが経営するいすみ鉄道に転換された。その後も赤字が続き、2007年、「2009年度の決算で収支の改善が見込めない場合は廃止」とすることが決まった。そして、経営立て直しのため社長が公募され、123人(!)の応募者から選ばれて鳥塚氏が就任。繰り出された企画がどれも話題を呼び、地元の足としての使命を果たしながら、観光鉄道としても有名になり、存続を果たした。同様の第三セクターは、兵庫・岡山・鳥取の3県を走る智頭ちず急行や、三重県の伊勢鉄道のようにJRから乗り入れる優等列車があって線路使用料が安定して入る会社を除くと、押しなべて赤字で、廃止されたものも多い。そんな中での大成功である。この成功により、鳥塚氏は<鉄オタ>と<有能な経営者>という両極の成分を持つ人として、注目されている。

*いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(2)へ続く。
 

参考記事
【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(2)(2016/06/23)
【コラム】いすみ鉄道~「ローカル線療法」の旅~(3)(2016/06/30)
いすみ鉄道の名物社長が退任 廃線寸前から人気路線へ(2018/05/24)