
全粒粉100%のパンを通して幸せを作る 「小麦のワルツ」の挑戦
日々の食事を考える中で、健康を意識する人は少なくない。記者自身も子どもが生まれたことで、家族が口にするものを健康的なものに見直したいと感じるようになった一人だ。まずは朝食からと探し始めて出会ったのが、広島県廿日市市のパン屋「小麦のワルツ」だ。
同店を営む澤正浩さん(65)は、パンを毎日食べる人の健康と幸せを第一に考え、おいしさ・安全・栄養バランスを徹底的に突き詰めているという。天然酵母を使った全粒粉100%のパンにこだわり、食品添加物は一切使わない。「全粒粉のパンは硬くて癖があり食べにくい」という固定観念を覆し、同店のパンは食べやすい。やわらかくモチモチしているもの、どっしりして食べ応えのあるものなどラインナップが豊富だ。食べると一つ一つの素材の味が調和し、口いっぱいにうまみが広がっていく。澤さんにパン作りへの思いを聞いた。
健康を突き詰めた先にあったパン作り
幼いころから虚弱体質に悩んでいたという澤さん。体調を崩しやすく、周囲と同じように過ごせないもどかしさを感じることも少なくなかった。転機となったのは大学時代の出来事だ。所属していたワンダーフォーゲル部の合宿中、体調不良により途中で山を下りるという悔しい思いをしたという。これをきっかけに、健康について本格的に学び始める。大学時代だけで健康に関する本を100冊以上読み、周囲からも一目置かれるほどの“健康オタク”となった。
食事を見直すことで、次第に健康になっていった澤さん。もともとパンが好きで毎日のように食べていたが、学びを深める中で「無添加・天然酵母・全粒粉100%」のパンが、体にとっては理想的だと考えるようになった。しかし、その条件に合うパンはなかなか見つからず、あっても自身の味覚に叶うものは少なかった。「納得できるパンがなければ、自分で作ろう」と決意。IT会社を退職した後、広島市のパン屋で修行を始める。そして2014年8月、家族とともに「小麦のワルツ」を創業。健康とおいしさの両立を追い求める澤さんのパン作りが始まった。
全粒粉100%へのこだわり
全粒粉100%のパンは、決して作りやすいものではない。一般的な小麦粉にくらべて膨らみにくく、食感もぼそぼそとして風味の調整も難しいとされる。それでも全粒粉100%にこだわる背景には「全体食」という考え方がある。穀物や野菜、魚などは丸ごとの状態で栄養のバランスが取れている。必要な部分だけを切り取るのではなく、できるだけ自然に近い形で丸ごと食べることによって、その生命力を取り入れることができるという考え方だ。
一般的な小麦粉は、表皮や胚芽を取り除き、胚乳のみを使って作られる。一方、全粒粉は小麦を丸ごと挽いたもの。自然の中で育まれた生命力が、絶妙なバランスで含まれているという。こだわりは全粒粉だけにとどまらない。パンに使う塩や砂糖も、精製によってビタミンやミネラルを削ぎ落したものではなく、天然塩やココナッツシュガーを選ぶ。素材が持つ生命力やうまみを存分に生かしたいという思いからだ。
「自然に近い食事を続けていると、体にいいものをおいしいと感じられるようになる」と澤さん。素材のうまみを感じる力は、健康とも深く関わっているという。
納得のパンを追い求めて
しかし、創業当初から全てのパンが全粒粉100%だったわけではない。当初は無添加と天然酵母を軸としながら、全粒粉100%のパンは一部の商品にとどまっていた。全粒粉100%にこだわることは簡単ではなかったが、決してあきらめなかった。
夜ごと生地と向き合い、試作を重ねる日々。湯捏ね製法のお湯の温度や時間を調整しながら、少しずつ理想に近づけていった。失敗も多く、何度も生地を無駄にしてしまうこともあったという。「初めは素人同然の状態だったからこそ、パン作りの常識にとらわれずに挑戦できた」と当時を振り返る。試行錯誤の末、約2年をかけて、素材も味も妥協のない全粒粉100%のパンを作り上げた。

広がり続ける「小麦のワルツ」のパン
その後、「小麦のワルツ」は年間1万人以上が訪れる人気店へと成長。8年前から始めた通販も好調で、注文数はのべ8600件以上。北海道から沖縄まで全国各地にパンを届けている。また、これまでに開発したパンは100種類近くにのぼる。全粒粉100%という難しい条件の中でも、表現の幅を少しずつ広げてきた。
一方で、経営は決して楽な道のりではなかった。同店のパンは仕込みから焼き上げ、完成までに3日以上かける。仕込み、成形、焼き上げに加え、店頭や通販の対応を並行する日々は、体力的にも厳しく、過労で倒れたこともあったという。さらに近年、小麦などの原材料費高騰も経営の圧迫に追い打ちをかけるが、「それでもパンの質は守り続けたい」と、素材や製法へのこだわりを手放すことはなかった。
「大変な中でも、お客様から感謝の声が届く瞬間が一番うれしい。パン作りの励みになる」と語る澤さん。特に通販を利用する人の中には、病気を抱えながらもパンが好きで、できるだけ自然に近いものを求めて探し続けた結果、同店にたどり着く人も多いという。「普通のパンは体調の影響で食べられないが、ここの全粒粉パンなら安心して食べられる」といった喜びの声も寄せられている。

つないでいく、パン作りへの思いと技術
店で働くスタッフともパン作りへの思いを共有している。9年前から勤めるスタッフは「店長の目指す方向性が明確なので、自分の考え方もシンプルになるし、お客様の役に立てている実感がある。何より、ここで働くようになって自分も健康になった」と話す。
澤さんは現在、パン作りを学びたい人を受け入れ、店で一緒にパンを仕込んでいる。後継者育成を見据え、パン作りの技術を伝えながら、食べる人の健康や幸せを思いやる心もつないでいきたいと考えているそうだ。
「おいしいと感じることは幸せを感じるホルモンにも影響する。毎日食べるものだからこそ、パン作りの使命は大きい」と力を込める澤さん。幸せを作る使命はこれからも続いていく。

