
八王子空襲の中で「大和田橋」が守った命の記憶
京王線京王八王子駅を出て、国道20号線、別名甲州街道沿いを日野市方面へ歩いて行くと、やがて浅川にたどり着く。八王子市の西方から流れ出て日野市を横切り、多摩川へ合流するこの川には、アユなどの魚が泳ぐ姿も見られるほど、澄んだ水が流れている。
この浅川に架かるのが大和田橋だ。片側2車線に加え、両側には広々とした歩道が整備されている。通勤・通学で橋を行き交う人は多く、車の流れも絶えない。歩道を歩いていると、自転車や歩行者と次々にすれ違う。そんな人の流れが途切れない中、歩道の上には空襲で投下された焼夷弾の跡が17箇所、今もなお残されている。
第二次世界大戦中、八王子市の近隣にある相模原市では、軍需工場や軍関連施設が急速に拡大していた。八王子市はその労働力と住宅の供給地となっていたのである。そして終戦直前の1945年8月2日、八王子は大空襲に見舞われた。約2時間に渡る空襲で約450名が亡くなり、旧市街地の約80%が焦土となった。この時、大和田橋の下へ避難した数多くの命が助かったと伝えられている。
戦後、大和田橋は補修工事が実施されたが、その際に焼夷弾の跡が残されることとなった。2箇所は透明板で覆われ、15箇所は色付きのタイルによってその位置が示されている。だが今、その意味を知らないまま多くの人がその上を通り過ぎていく。

橋の下へ降りると、散歩をしている人や釣りをしている人の姿があり、静かな川の流れに呼応するように穏やかな空気が漂っていた。この場所で、かつて町が焼かれ、頭上の橋に焼夷弾が降り注いだ光景を思い描こうとする。しかし、目の前ののどかな風景があまりに平穏であるがゆえに、その惨状を重ねることは容易ではなかった。

【施設情報】
大和田橋
東京都八王子市大和田町1丁目

