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長崎ちゃんぽん発祥の地 四海樓「ちゃんぽんミュージアム」で歴史を学ぶ

長崎ちゃんぽん発祥の地 四海樓「ちゃんぽんミュージアム」で歴史を学ぶ

「長崎といえばちゃんぽん」。長崎に足を運んだならば、食べてみたい料理のうちのひとつが長崎ちゃんぽんだ。当サイトでも「ご当地自慢を探せ!」シリーズで一度、ちゃんぽんを紹介したことがある。そんな長崎ちゃんぽん発祥の地「四海樓」の二階に位置するちゃんぽんミュージアムを訪れ、その歴史を学びつつ、ちゃんぽんを堪能してきた。

ちゃんぽんとは

ちゃんぽんはもともと「支那しなうどん」と呼ばれていた。支那とは明治時代の日本で用いられていた中国の呼称である。魚介、野菜、肉といった様々な具材がうどんに載った料理で、ボリュームたっぷり栄養満点である一方、価格は一杯1000円程度とお手頃である。

長崎ちゃんぽん発祥の地 四海樓「ちゃんぽんミュージアム」で歴史を学ぶ
四海樓のちゃんぽん。鶏ガラと豚骨でだしをとった濃厚な白濁スープのなかに、麺と、たっぷりとした野菜と魚介が載っている。錦糸卵が彩りを引き立て見た目にも華やかで美しい。

長崎ちゃんぽん発祥の地 四海樓「ちゃんぽんミュージアム」で歴史を学ぶ
四海樓の皿うどん

ちゃんぽんの発祥地

ちゃんぽんは、1899年(明治32年)の長崎で誕生した。かつて日本は江戸幕府の元で鎖国令が敷かれ、外交ができたのは唯一長崎の出島のみだった。ちゃんぽん発明は、そんな鎖国が解かれて間もない時代に中国から長崎に来日した一人の若者によってもたらされた。

ちゃんぽん発明者

出島の門をくぐった中国人の名は陳平順チン・ヘイジュン。来日後、日清戦争が勃発。華僑(渡日してきた中国人)に対する風当りは強まり、中国人留学生は冷遇されていた。陳も決して楽ではない生活を送っていたが、世話好きな性格が手伝い、周囲の育ち盛りの中国人留学生に頻繁に料理をふるまったという。栄養価の高い食べ物をと、魚介や肉類、野菜をうどんに乗せて作ったのがちゃんぽんの始まりだった。

あらゆる苦難を乗り越えた陳は、来日7年後に中華菜館兼旅館「四海樓しかいろう」を開店。ちゃんぽんが商品として定着した頃、陳は娘の清姫に特許の申請を勧められたが、これを一蹴した。「日本中の人が喜んでちゃんぽんを食べてくれたら、それで満足だ」と言い放ったという。

長崎ちゃんぽん発祥の地 四海樓「ちゃんぽんミュージアム」で歴史を学ぶ
2階のミュージアムで展示されている、大正末期から昭和初期にかけて四海楼で使用された蓋つきちゃんぽん丼

陳平順のちゃんぽんにかける熱い思いを受け継ぎ、日本人が喜ぶ長崎ちゃんぽんを提供し続ける四海楼では、今でも元祖長崎ちゃんぽんを求める人たちで長蛇の列ができている。店内では美味しそうにちゃんぽんを堪能する人々の姿が印象的だった。

【店舗情報】
中華料理 四海樓
住所:長崎県長崎市松が枝町4-5
電話:095-822-1296

ちゃんぽんミュージアム(Chanpon Museum)
中華料理 四海樓 2F
公開時間 11:30~20:00 
※見学無料

 
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