子どもに本を①

子ども読書週間特集(前編) 山本有三〜子どもに本を〜

4月23日~5月12日は、「こども読書週間」。これにちなんで、子どもと読書に関する2人の人物を紹介する。今日は前編として山本有三を取り上げる。

作家 山本有三(1887~1974)
『路傍の石』などで有名な作家。小説家として有名だが、児童書『日本少国民文庫』(全16巻)を刊行したり、戦時中という本の入手が困難な時代に自邸を開放し、子どもが本を読める場所を作ったりするなど、子どもが本に触れる環境づくりにも関心が高かった。

作家時代は「人はいかに生きるべきか」をテーマに

戯曲家・作家として知られる山本有三。代表作は『路傍の石』、『生きとし生けるもの』、『女の一生』などがあり、中でも1937年から朝日新聞に連載された『路傍の石』が有名だ。同書では、家が貧しいために学校へ行くことができず、呉服屋へ奉公することになった少年が、苦労を重ねながら強く正しく生きて行く姿が描かれている。現代人にも通じる「人はいかに生きるべきか」という課題を、山本はさまざまな登場人物の生きざまを通して伝えようとした。人生の本質を追究する山本の作品は観客の心をつかみ、その長編小説全6作のうち5作品が映画化されている。

「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったなら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」『路傍の石』より

子どもたちのために国語教育に尽力

もともと劇作家・作家として活動していた山本は戦争へと向かう時代の中で、検閲や言論・出版の統制という圧力を味わった。しかし、この逆境を追い風にして、制約のまだ穏やかだった児童書に、山本は新たな表現の場を見いだしていく。

文筆家として子どもたちに伝えるべきことがあると考えた山本は、1935年に『日本少国民文庫』(全16巻)を新潮社から刊行。これは戦前最後の良心的な児童書として高く評価された。1942年には、自身の55歳の誕生日である7月27日に自宅の一部を開放して「ミタカ少国民文庫」を開設した。本の不足する時代に、子どもたちが少しでも本に接することのできる機会を作りたいと、三鷹村(現在の東京都三鷹市)にある自邸と自らの蔵書を開放したのだ。もともと多くの蔵書を持っていたが、『日本少国民文庫』の編集に使用した本や、山本の4人の子どもたちのために購入した本を中心に、文庫用の本を選別。必要なものは買い足した。明るく広い応接間には大きなテーブルやいすをそろえて閲覧室にし、子どもたちはテラス側から自由に出入りできるようにした。ミッドウェー敗戦後、戦況が不利になりつつある中、文庫の開館は数少ない明るいニュースとして多くの新聞・雑誌に取り上げられ、遠方からも子どもたちが集まったという。「ミタカ少国民文庫」は戦況の逼迫ひっぱくに伴い1年半で閉館してしまうが、約15年後に山本が土地と建物を東京都に寄贈してからは、「有三青少年文庫」として長く運営された。

このほか、山本は国立国語研究所の設立や子供の日などの祝日の制定にも力を尽くした。さらには国から国語教育の委員会に選ばれ、「当用漢字」を作る仕事をしたり、国語のさまざまな問題を改善しようと努めたりした。小学校や中学校の教科書の編集にも取り組むなど、子どもたちの国語教育に心を注いだ。

「心に太陽を持て」

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

苦しんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」

ドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンの詩に深く感動した山本が自ら訳した詩。『日本少国民文庫』第1回配布の巻頭に掲載されている。

出展:三鷹市山本有三記念館館報代15号2016年9月
   三鷹市山本有三記念館閲覧室資料

 
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